礼文島旅館かもめ荘の虚像masanobuのブログ

島における母と姉と私の葛藤の日々を書いたブログです。母が亡くなり姉との2人の暮らしの後札幌に出てくるまでの経緯とその後の姉との関係を書いたブログです。

東京での暮らし3[さて ここはどこでしょう]

母に捧げる

バブルと氷河期の経験  


 3.某設計事務所に入って1年が過ぎバブルが始まってきていました。😃😀

 



  素人集団と思われた人たちですがそれなりに仕事をし人も増えて私はそのリーダー的な立場になっていました。😄🥹


 

 

 



 










 社長はその当時[来るものは拒まず]的なところがあり服装が乞食 までとは言いませんがみすぼらしい人まで面接に来ていて後に社長に聞くと「大丈夫問題ない」といいどこかの会社に派遣されたようで改めて景気がよく人がいないことを実感しました。😊🙆😀


 

 

 




 そんな時社長が「お前パスポートを持っているか」と聞かれ驚きました。😃😟🤔

 

 


 今まで海外 など行ったことがなく当然「持っていません」と答えました。😜🙇

 

 















 社長は「あー そうかじゃあパスポートを取ってこい」と言われ何でですかと聞くと「イギリスに行ってこい」と言われ びっくりしました。😱🤷🫨




 私は思わず 聞き返してしまいました「イギリスって外国のですか」と何を言っているのだこの人はと思ってしまいました。😰😵‍💫😯


 
















 社長は続けて「当たり前だ外国のイギリスに決まってるだろ」と続けて「ナベ(私のこと)をイギリスに行かしてやる」と言い

 多少変わったところのある人ですが急にイギリスとは中国とか 東南アジアは有リそうな感じはあったんですが?それは某プラント系の会社(一部上場)の仕事の派遣で新設の英国日産に7月の1ヶ月間のだけの応援で行くということです。😄🤷🙂


 

 

 

 





 









 私は何の仕事で何のために行くのかもよくわからずものすごく不安で社長に何しに行くんですか私でいいのですかとしつこく聞きましたが「大丈夫、大丈夫」と言うばかりです。😅🤷🤔

 

 


 しまいには行きたくないのかと言われ口ごもってしまいました。😵😜😟

 

 

 

 






 












 

 相手の会社に社長と一緒に行くと課長か部長という年配の人が対応してくれ社長は知り合いみたいな感じで「いつも通りに」とか色々話していて1週間後の飛行機の切符を渡されました。😊😲😯

 

 


 それも ビジネスクラスで一緒にトラベルチケットも貰ったと思います。😊🙂


 















 後で聞いた話ですが飛行機代金は100万円ほどしたそうです。😊😍🥰




 相手の人は「無理を言ってすまないね」と低姿勢でイギリスにはうちの社員が3人いるのでよく聞いてお願いしますと言われ何をするのかもわからず「ああそうですか」と答えるしかありませんでした。😉🥹

 

 
















 入国審査の時ビジネスではなく観光という様に桎梏言われ派遣先の会社名の入った名刺を渡されました。😏🥹🙂

 



 後に知ったのですが ビジネスだと入国させてくれない可能性があるためで不法労働の問題だと思います😌☺️🫡


 
















 その工場が建設されているのはニューキャッスルというところでスコットランドの国境近くです。😉☺️

 

 


 日本で言えば北海道の北の果て稚内とよというところでしょう。😔🥹

 

 

 

 




 

 









 私は急に海外それもイギリスという事でパスポートはもちろん国際免許も急きょ取り携帯電話はまだでしたが翻訳機はあり日本語で話すと英語に変換してくれる機器を2台買いました。😌🥹

 

 


 全然役に立ちませんでしたが?慌ただしく私は不安を抱えながら旅立ちました。😉🤷✈️


 















 イギリス内での国内線の乗り換えもあり現地にいる人の迎えはニューキャッスルなのでヒースロー空港から乗り換えて ニューキャッスルに向かわなければなりません。😆🥹




 日本で言えば東京について稚内空港行きに乗り換えるようなものです。😔✈️😟

 

 















 飛行機はアラスカ経由でロンドン行きで時差もあり何時間かかったのかよく分かりませんが24時間以上飛行機に乗っていたと思います。😌✈️🤷

 

 


 アラスカ空港に着陸のため低飛行した時眼下に樹氷と言うか氷の塊が当たり一面に広がっていてそれはすごい景色で人生で一番感動したと思います。😍🙆🤷


 















 

 アラスカで2〜3時間待たされて出発したと思います。😊🙂☺️

 



 ビジネスクラスなのでファーストクラスとまではいきませんがかなり広く料理も豪華で美味しかったと思います。😌🤩

 

 















 エコノミーの方を覗いてみたら狭いところに座っていてビジネスとの違いに驚きを感じた覚えがあります。😝🤩

 

 


 ヒースロー空港に着き言われた通りに観光と言いましたが話が通じず困っているとたまたま近くにいた日本人の英語ができる人がいて助けてくれて大変助かりました。😊🧑🙆


 

 


 






 



 その人はかなり離れた場所にあるニューキャッスル行きの空港への行き方も教えてくれました。😄👆🧖

 

 


 その人がいなかったらたどり着けなかったと思います。😌🙆👏


 


 なんとかニューキャッスル行きの飛行機に乗ることができました。😆✈️🤷

 



 






 








 当然飛行機の中は全て外国人で隣の人が何か話しかけてきましたがよくわからず 推測で何しに来たのかと聞いているようなので日産工場の仕事で来たと拙い英語で話したように思います。😏🥹

 

 


 相手は何かああそうかと納得したような記憶があります。😃🙋

 

 















 機内では飲み物としてビールが出て私はあまり酒は強くなくすぐ顔に出るので飲みたくなかったのですが 隣の人が勧めるのでお昼の時間なのにって思いながら飲んだと思います。😊🧏🙂




 1時間ほどで目的の空港に着き向かい人が来ていて無事に会うことができました。😃🙆

 

 















 その人は 40代 半ほどの人で自分はその時 35歳ぐらいだったと思います。😔🤷

 

 


 もう35年前になるのですね!この年になると感慨深いものがあります。😊🤷🥹

 


 

 

 







 






 その人は「よく来たね迷わなかったかい」と優しく迎えてくれました。😊🫡

 

 


 そして 車で日産工場敷地内にある事務所に私を案内してくれました。😄😀

 

 


 そこには 営業の人が一人ともう一人 工事の人がおりました。😄🥹🙂



 

 

 





 









 仕事は車のボディの塗装ラインを請け負っていました。😏🚗☹️

 



 10社以上の業者が入っていてその1つがその会社です。😩🏢🥹

 

 


 塗装ラインには2つあり噴射とドブ漬けだったと思います。😄🤷☺️

 

 















 私はドブ漬けの方で迎えに来た人の部下ということになります。😃🤷☺️

 



 工事は英国の業者に丸投げでほとんど完成しており私は何もすることはほとんどありませんでした。😃🤷☹️

 

 
















定期的に1日3回制御盤の計測をするぐらいだったと思います。😄☺️

 

 


 実情は日産に対する ポーズとして一生懸命力を入れてやっていますとのことだったと思います。😄🙆🧏

 

 


 そのためすぐに日産の人に自分を紹介して 挨拶をさせられました。😃🥹🙂


 

 


 


 



 









 他の2人は自分と同じぐらいの年齢で営業の人は家族もこらに住んでいてかなり長くこちらに住んでいると言っていましたが他の2人は1年以上 家を借りて住んでいるようです。😊🏡🥹

 

 


 噴射担当の彼は最後の調整でピストル型の噴射機をいくつも動かしてペンキだらけになりながら夜遅くまで作業していました。😌🥹

 

 



 





 ドブ漬けの方はボディ本体をペンキの入った大きな浴槽状の中に入れて塗装するのですが全て自動的に行われ調整もほとんど終わっているので何も作業することもなく非常に申し訳ない気持ちでした。😆🙅🙏

 



 宿泊のホテルは海沿いの3階建ての建物で小さなホテルでした。😄🏩🙂

 
















 宿泊代金はトラベルチケットで払ったのですが値段は忘れてしまいました。😄🙅🙂

 



 そんな 高くなかったと思います。😊🙆☺️

 


 

 






 








 何しろバブルの始まりで円高で1ドル 80円 ちょっとぐらいの時ですから今では信じられません。😁🤷😀

 

 


 朝食はよく覚えていないのですがバイキングだったような気がします。😆🥣🤷

 
















 夕食はよく覚えています。😊🙆☺️

 

 


 パンと肉料理と野菜で海沿いなのに魚類はほとんど出なかったと思います。😄🥩🥦

 



 その後のデザートがすごいのです。😲🍰

 

 















 何種類ものケーキ類が入ったワゴンが運ばれてきて必ず選んで取り食べなければなりません。😆🍰🙍

 

 


 その大きさと量の凄さに辟易してしまいました。無理して食べた覚えがあります。😜🍰🤷


 















 料理は美味しかったと思います。😄🍴🙆

 



 昼はほとんど ハンバーガーでした。😜🍔☹️

 



 そしてみんなビールを飲むのですが私は強くはないのですが それなりに飲むのですが顔にすぐ出てしまいます。😆🍺🥵

 

 

 

 






 








 ビールは水と一緒という感覚で他の3人は強くて平気にしていましたが 私は昼過ぎても顔が赤く困ってしまいました。😰🤷🥵

 

 


 ホテルのベッドメイキングの人にチップを置くように3人に言われていたので確か5ポンドを置いていたような気がします。😊🙆🪙

 

 















 日本円で500円ぐらいだったと思います。😄🪙💴


 


 週に1から2回夜の食事に迎えに来てくれた今の上司は連れて行ってくれました。😄🍴🙂

 


 

 


 





 





 日本食はないのですが中華店が1軒ありそこには2回ほど行きましたがほとんどレストランです。😁🍴🙂

 

 


 そこには入り口が2つあるのです。😆🤷☹️

 

 


 服装及び職業によって違ってくるのです。😜🤷😵‍💫

 


 

 






 








 

 その為自分らは作業着なので帰って正装して行くことになります。😆🤷🙍😮‍💨

 

 


 さすがに紳士の国(嫌味)と思ったものです。😆🤷😵‍💫

 

 















 国際免許を取りましたが運転することは全くありませんでした。😆🤷😵‍💫

 

 


 ホテルまで上司が迎えに来てくれ帰りも送ってくれました。😄🙆☺️

 


 

 







 






 道路はロータリーが多いような気がしました。😄🛣️🙂

 

 


 テレビはクリケットの印象しかありません。😆🏏🤷

 

 


 どのチャンネルを回してもクリケットを延々と放送していた記憶があります。😜🏏

 

 

 

 






 









 又ホテルのバーにも行きましたがカウンター式の狭い場所に宿泊者以外の人が大勢おり立ち飲みでほとんどビールを飲んでいたように思います。😜🍺🙂

 

 


 あっという間に1ヶ月が過ぎ予定通りに帰ることになりました。😊🤷☺️

 

 


 






 






 何か役に立ったのか申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが営業の人以外1か月後ぐらいに帰るということなので安心して帰ることにしました。😄✈️☺️

 

 


 他の業者で2人帰る人がいるということでその人たちと一緒に帰ることになりました。😊✈️🙂

 

 

 

 







 




 ロンドンに一泊して観光して帰ることになりました。😄😊🙆✈️😀

 

 


 今度は逆回りでヨーロッパの上空を飛行し中国の上空を通って乗り換えなしで帰ったと思います。😊✈️🤷

 

 


 















 16時間ほどだったと思います。😄🤷☺️

  

 


 無事に帰ってこれてほっとした覚えがあります。😄👌👏


 


 4.に続く 😄🙂😀🤩





     

 

 

 この飛行機に乗って行っていました。😄🤷🙂

 

 写真は多少ボケていてはっきり顔がわからずちょうどいい感じだと思っています。😊🤷🙂





 

 

 

 こちらも多少写真はボケています。数少ない戦争の跡地です。😆🙍😵‍💫





 

 

 

 こちらは船がつく港になります。😊🚢

 

 建築の資材等は船で来る感じです。😊⚓

 

 月に数回程度しかなかったと思います。😄🚢🫡

 

 ダラダラと書いてしまいました。🙍😮‍💨

 

 もうお分かりでしょうが題目なので又言います【さてここはどこでしょう】🤔🤔

 

 再投稿で書き直していますが何かと話題になっていて私自身びっくりしています。😱😵‍💫

 

 その当時少しもそんな話はありませんでした。😆❌‼️


 ではまた👋👌👏🧏😀

礼文島の旅館かもめ荘の話です。

×

非ログインユーザーとして返信する