東京での暮らし 最終回[さて ここはどこでしょう]

バブルと氷河期の経験
6.硫黄島には年間で8回ほどで1回につき10日間ほどいるようだったと思います。😌😄🏝️🪖👌
自衛隊の飛行機で事前に予約して島に渡るようになります。😉🛬🪖👌🤦
建築担当は常駐していましたが設備と電気と通信は巡回でした。😄😌🤦🛬🙂
電気と通信は1人の人が兼務して見ていました。😉😌💡📠🙆
自衛隊機で6時間ほどかかり自衛隊の人と一緒に物置のような結構広い場所で長椅子に座り島に行ってたと思います。😌🏝️🪑🛬🤦
自衛隊機は輸送機なので自分たち2人を含めても20人近くだったと思います。😌🛬🤦🏝️🪖
事務所には他の会社の設計事務所の土木の人とまた別の会社の電気の人がいました。😉💡🛣️🚧👌
それと私たちの建物を担当する内の会社の建築の人が常駐していました。😁😄👤🏢🤓
土木と電気の人は長年米軍の基地の工事を見ているようで7から8年ぐらい島にいると言っていました。😁😉🛣️💡👌
米軍基地ですがが自衛隊員も結構おり大きな自衛隊食堂がありそこで自分たちも食事をしていました。😌🧆🥗👨🍳🧏
米軍の人もそこで食事する人もおり多数の米軍の人が食事をしていました。😉⛑️🌎🏴🙆
担当する建物は自衛隊の宿舎で鹿島建設が全て受けおっていました。😄🏢🪖🏗️👌
一応分離発注ですが特殊な島ということで仮設工事等の使用及び資材の運搬など組
下的な要素が多かったと思います。😉😌👌🏗️👎
また窓ガラスにへばりついた多数のヤモリかイモリに驚いた記憶と米軍の夜間飛行訓練です。😅🦎🛬🌃🏴
夜は外に出るのを禁止されていて窓に光る明かりがすごく印象に残っています。😆😉🌃🌩️⚡💡😀
夜間飛行訓練は毎日でなく集中的に行われていたと思います。😆🌃⛑️✈️🏴
硫黄島というくらいですから硫黄が噴き出ているいるところがあり断崖絶壁が多い島でした。😉😌♨️🪨🏝️
戦争の跡がそこら中にあり隠れていたと思われるほら穴な的な空洞がいっぱいありました。😅😆🪖⛑️🪨
他の基地もそうなのですが硫黄島は特に写真を撮ることをきつく禁止されて米軍基地に近づくことさえできませんでした。😅😆⛑️✈️🙅
その当時有名な見えない飛行機[ステルス]もあったと思います。😞😓🛬⚡🫣
なので硫黄島の写真は1枚もありません。😝😜♨️🏝️📸🙅
テレビはNHKのBS とWOWOW が放送され映画ばかり見ていたように思います。😌😉📺🎥🧐
自衛隊の人は本土からテレビ番組のビデオを送ってもらい見ていたと思います。😃😉🪖📼🙂
一度台風と言うかハリケーンが襲い停電しものすごい風と雨で恐怖を覚えた思いがあります。😱😤⚡💡🙅
その時は食事も作れないので自衛隊の非常食(ご飯等全て缶詰)が出て案外美味しかった覚えがあります。😃😆🪖🥫🙂
バブルも過去のことなり東京の仕事も減り次の年も硫黄島とそのもう一つ先の南鳥島を見ることになりました。😃😁🏝️🐦
私はそれまで 南鳥島を知りませんでした。😆😞🏝️🐦🙅
昔テレビで南の楽園的なような放送をしていたのを思い出しその時は米軍もわずかな人数ですがいたような放送だったと思います。😆😉🪖⛑️🏝️🌼
南鳥島は自衛隊と気象庁と海上保安庁がおります。😃😁⛅⚓🪖🙂
自衛隊員は15人ほどで気象庁は7人 ほどだったと思います。😁⛅🪖⚓🛳️
海上保安庁の方は行ったことがなかったので人数までは分かりません。😆🛳️🙅
私の想像ですが自衛隊員と同じぐらいの人数がいたと思います。😁🪖🛳️🙂
自衛隊の食堂で気象庁の人も自分たちも食事をしていました。😌⛅🧏🥗🧆
食事代金は会社の方で払っていたと思います。👍🥗🍛💴🙌
料理はかなり美味しかったです。🍲🥗☝️
小さな売店もあり硫黄島から飛行機で3時間ほどかかりました。😌🛬🪖👎🙆
硫黄島行きは横田基地から出発していたと思いますが25年ぐらい前なので間違えていたらあしからず。😌🛬🪖👍🙂

全て輸送機で迷彩色ですが南鳥島は硫黄島から出るのですが輸送機の時もありましたが写真のような迷彩色でない白い一般的な飛行機で座席も普通通りあり40名ほどの定員で自衛隊員でいっぱいだったと思います。😌🛬🪖🙆🧏
硫黄島に長年いる事務所の人も南鳥島には行ったことがないと言っていました。😃🏝️🐦🙅
工事は宿舎の改修だったと思います。😃🏗️🏢👐🙂
契約内容は4回で1回につき10日間ほどだったと思います。😄😃🙆👎🙂
最後の1回は行きませんでした。😆🏝️🛬🙅
というのは局の方から行かなくてもいいという指示がきたからです。😆🙅🏝️🛬👎
それは飛行機の予約をするのが大変で最後は自衛隊員でいっぱいになるので当然そちらを優先するので行く必要はないと言われたのです。😆😂🏝️🛬🙅
島は南の楽園と言われるだけあってとても素敵なところでした。😄🏝️🌼☘️🌴
自分みたいにたまに行くのならいいでしょうがずっといる人は何もなく嫌になってくるのかもしれません。😜😝🧏👎🙅
夏は日差しがきつく温度が高いですが東京と違い湿度は低く夜も過ごしやすく冬も暖かく気候的には快適に過ごせると思います。😌☀️🌄🌃⛺
また夜の夜空が満天の星でそれは素晴らしく感動しました。😄😃🌃🌉🥲
またちょうど行った時もう忘れましたが何とか流星群がちょうど来るということでみんなで夜空を見上げみた思い出があります。😄😃🌃🧏👍
一部を除いて写真は禁止されていなかったのでとることができました。😄😃📸🙆😀👍
あまり戦争の後はなく砂浜が広がっていて鳥がいっぱいいる場所がありそれで南鳥島というのかと思ったものです。😄🏝️🐦🌴⛺🌄
常駐している建築担当の彼がほどんと写真を取ってくれました。😄😃🧔🙆📸
ちょうど行っている時にサッカーのワールドカップの日本の試合がありみんな(建築と土木と電気)で見たのを思い出します。😄😃😌⚽🏟️🙂
飛行機は硫黄島から乗り継いで行く感じで1週間に1回程度しかなかったと思います。😌😃🛬✈️🙆
硫黄島行きは簡単に取れたのですが南鳥島は大変でした。😃🌴🐦👐👎
25年前なので今はどうなっているか私には分かりません。😌👍✈️🌴🧏🫣
無事に終わり次の年は 契約は交わされませんでした。😝🧏🙅🥺😮💨
今まで面倒を見てくれた最初にあった沖縄の人は体を壊し歳のせいもあり九州の方に戻り担当が変わってその人とあわなかったせいもあったあると思います。😥😨👨🙅👎
9年間ほどその会社にはお世話になりました。😄😃🧏🙆🙂
契約社員だったので私は当然確定申告をしており年金は払っていませんでした。😃😝💴🙅👎
20年以上働いていたのですが年金は8年ほど前に変わった年金期間10年以上というギリギリでわずかな年金収入しかありません。😥😨💴🙍😮💨
バブルで調子に乗っていた自分はかなり金遣いが荒くなりギャンブルと遊興にふけり収入もそれなりにあったためサラ金から借金をし母に迷惑をかけました。😝😂🧏💴🧓🙂↕️
それは体の遺伝による欠陥により体調も良くなく長く生きられないと自分で決めて今さえ良ければよいという考えに陥ったせいもあります。😆😂👎🤦🙍
結婚も遺伝ということで諦めたのも大きく影響していると思います。😓😢💥🤦😮💨
どうしようもなくなり[旅館かもめ荘]で書いたように家に帰りたいと言いましたが帰してもらえず仕方なく以前勤めていた独立した社長がやっている会社に電話しました。😆😥☎️🏢🥺
不景気のどん底でしたが社長は受け入れてくれて半年ほど働きましたが社長は営業上がりで以前からいる工事の人とは設計と施工管理をしていた自分には無理があリうまくやっていくことができず出戻り的なところもありやめる結果になったと思います。😆😂🤦💥👎
あまり思い出したくない心境です。😨😭🤦🫣🙍
肉体的にもそうですが精神的にかなり参っていたと思います。😆😝🤦🙅🙍
母に帰ると言いながらなかなか帰らないので2番目の姉が札幌から旦那に内緒で自分を迎えにくるためだけのために来てくれました。😆✈️👩🙆😮💨
乗る飛行機が違うので「ちゃんと帰るのだよ、帰っても地獄だね」と言って送ってくれました。😆😂👩✈️👋
50近くのの男が姉の向かい なくしては帰れず 恥ずかしい限りです。😆😝🤦🙍😮💨
こうして東京での暮らしは終わりました。😆😝🗼🙅👋
また[北海道礼文島旅館かもめ荘のお話し]に戻る予定です。😃😄🤦🙆
読んでくれた方ありがとうございました。😃🙆🤩🥰
ではまたさようなら😄👏👋🤷

私の後ろにに写っている建物が自衛隊の宿舎だったと思います。😄🏢🪖😀
今見ると南の島のせいもあって洒落た建物に見えます。😍😍🏢🪖👏

私と一緒に写っている人たちは建築の作業員の人たちです。😄😃🧑🔧🏗️👏
昼は日差しがきつく紫外線対策をしてない私は歳とともにほくろなど腕に症状が出てきています。😄😃💥🌄🤷
歳のせいもあると思いますが急激な日焼けによる影響もあると思います。😅😅🧏☀️💥🤩

これは私ではありません。🙅🤷🏗️🧔😀
建築担当の彼です。😃😄🧔🏗️🙆
その当時私より7つから8歳年下で今現在は60を過ぎていると思います。😃👏🧔🥰
まだ働いているのでしょうか?同じ会社にいるのでしょうか!懐かしく思い出されます。😃😄🙆🧔👍🙌
写真はほとんど彼が取ってくれました。😄😃🧔🙆📸
1年間常駐してたのでヒゲだらけで原住民のようですが結構いい男です。😄😃🧒🙆
彼はパソコンで写真を加工するのが上手で自衛隊の人と撮った写真を加工してくれたのですがなくしてしまいました。😄😃💻⌨️📸🧒
あっても載せることはできないと思いますがちなみに絵もすごく上手でした。😄👏🖼️🎨🙆
ではまたさようなら😄😁😃👋👋🤷😀
追伸: 前回にも書いたように再投稿で内容はほとんどと同じですが書き方を変えています。今南鳥島はレアアースで有名になっています。私が島に行っていた当時はそんな話は一切ありませんでした。通信機器の進歩による影響が大きいと思いますが成功を祈っています。テレビで最近レアアースを含んだ泥の採掘に成功したと言っていましたが実用化には時間がかかりそうです。最新の技術に多大な影響を及ぼす話なので南鳥島に携わったものとして良い方向に行くことを望んでいます。書き方を変えて[北海道礼文島旅館かもめ荘のお話しⅡ]として再投稿を続けていきたいと思っています。その後姉との多少の進歩がありましたので新しい今現在のブログを書きたいと思っています。この章を読んでくれた人ありがとうございました。次回も再投稿になります。では次回でさようなら👋👋👋🤩🥰