礼文島旅館かもめ荘の虚像masanobuのブログ

島における母と姉と私の葛藤の日々を書いたブログです。母が亡くなり姉との2人の暮らしの後札幌に出てくるまでの経緯とその後の姉との関係を書いたブログです。

礼文島旅館かもめ荘の真実2

母に捧げる

息子の母への思い

 

  2.東京にいた自分はバブルと氷河期を経験しどうしようもない状態になっていました。☠️😵🤷😵‍💫

 



 それは遺伝による体の欠陥も影響しています。😵😣🤷🥵


 

 

 家の方に帰りたいと話しましたが今旅館を始めたばかりだからと言われて帰れませんでした。😵🙅🥲

 

 









 1年後どうしようもなくなり母が無理やり姉の反対を押し切り帰ることができました。😄🙂

 



 帰ると姉の対応は冷たく恥ずかしいとか迷惑だとか激しく私を責めました。😠🫢

 

  

 

 姉も大して変わらないことをしておいてよく言うものだと思いこれこそ[目くそ鼻くそを笑う]と思ったものです。😒😒😓😓😛😛


 










 

 帰って1年目は旅館の手伝いをさせてもらえず土木の仕事をしていました。😔🥺

 

 


 自分にはかなりきつく(遺伝による体の欠陥のた)大変でした。😵😣🥵


 


 帰って2年目(旅館を始めて4年目)から母が姉に頼み込んで手伝いを始めることになりました。😖🙏🧓🙆

 

 






 

 



 

 男の手伝いもいないせいもあったと思います。🚶🤷🧏

 

 


 しかし給料というかお金は夏の観光時期の6から9月の4か月のみで合計50万から60万程度です。😞🙅😵‍💫🤷


 


 母は最初は夏の間はお金をもらっていたようですが自分を働かせるためにお金はもらわなくなりました。😔😌🧓

 

 









 

 母は多少年金があるため食事代も何もかも自分でだし NHK の料金まで出して姉の分まで料理を作っていました。😣👱🧓🍲


 


 姉は一度も母と私のために料理を作ったことはありません。😞🍲👱🙅

 

 


 手伝いを始めてみるとその頃はツアー客が7から8割でほどで個人客は2割程度で団体さんはパーッと来てパーッと帰るという感じで比較的楽でした。😔🏃😧🧒


 











 

 自分の仕事は朝はお客の送り迎え、布団あげ、風呂掃除等夜は布団敷きとゴミ出し(その当時は車で港の方のゴミステーションに捨てに行っていました)等で手伝いの人もいっぱいおり比較的楽でした。😄🙆🚙🧒


 


 お昼は客の送り迎えと観光場所までの送リ等です。🚗🌺🥀

  



 ツアー客がほとんどで人もいっぱいおり始めは楽だったと思います。😉😃🙂🤩


 









 

 母は叔父が保証人のために迷惑をかけないように一生懸命働きました。😆😆🧓🧓

 

 


 朝は3時頃に起きて朝食の支度をし昼は2時頃から夕食の仕度です。😌🍲🧓😧


 


 そのその後手伝いの人が帰った後9時過ぎに多少のあと片付けと明日の朝食の準備をします。😆🧓😧

 

 











 

 朝は3時から7時、昼は2時から6時、夜は9時から11時の労働で眠るのは11時頃です。😆🧓😧😵‍💫


 


 客の前には姉の指示で出ないので全て姉がやっていると客は思っていると思います。😣🧓👱

 

 


 また民宿時代のお客も母に会いたがっていましたが旅館にかわり代替わりしたため母に会えず残念がっていました。🙅🧙🙍👱


 







 




 姉は料理も何もかも自分が仕切っているように振る舞っていましたが実情は民宿時代同様に母が料理を作っていました。🧓👱

 

 


 何も知らないお客は料理が美味しいと姉のことを褒めていました。😄🍲🧓👱


 


 母の料理は民宿時代から島では有名で他のホテル等にもひけを取らないぐらいです。😄🧓🍲👏


  


 その当時姉はほとんど 料理もできませんでした。😆👱❌⁉️

 

 


 3.に続く😣😔🧓👱😵‍💫



礼文島の旅館かもめ荘の話です。

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