礼文島旅館かもめ荘の真実 1
息子の母への思い
1.今日から始めからの再投稿を少しタイトル名を変えて始めたいと思っています。😄👌🙌🆕
今年になって島の姉との多少の進展があったので続けて書いていきたいと思っています。😃👌✍️🆗
次からが始まりの文章になります。😄👏👌👍
私には姉が3人いて4人兄弟です。😃👱‼️
現在の女将の3番目の姉とのお話です。😉😝👱
事実を忠実に書きたいと思いますが人間ですので感情が入ってくると思いますのでお許しください。😆🥺
時代はかなり遡ります。😲😌🤷
姉は高校卒業後大学に行くと家庭の事情も顧みず無理やり夜間大学(東洋大)に入学し授業料等多大なお金を親に払ってもらいながらほとんどと大学にも行かず2から3年の間幼稚園、会社勤めなど働いていたようですが朝が弱いのでそのうち夜の仕事(スナック)の勤めを始めました。😫😵💇
当然ながら親に金の無心をしていたようです。😫😵💇
10年以上夜の仕事をし34歳ぐらいの時に突然家に帰ると言い 帰りました。😉✈️🚊⁉️
その当時は北海道の大学を卒業し自分も東京で働いていてびっくりしました。😲😝🤷
同じ 東京に10年以上いて会うことは滅多にありませんでした。😵☹️
帰ったのは2番目の姉が3年ほど前に結婚して家を出て行ったこともあるようです。😫😉👰🤷
家に帰ってから姉は働きもせず、その頃は母は民宿をしておりその手伝いをするということでケチな親父は母の妹の手伝いを断りました。😵😝🥺
そのため母は姉が部屋にこもって猫(小さい頃から猫を飼っていて東京から連れてきた3から4代目の猫です)と一緒にいてろくに手伝いもしないので過労により階段から落ちて入院することとなりました。😵🏥🧓😺
東京で働いていた自分は連絡をもらい会いに行くと頭は真っ白になりやつれた姿に驚いた記憶があります。😱🧓🥺
この話は後に母から聞かされたものです。😄😆🧓🤷
幸い母は元気になりまた民宿を始めました。😃😃🧓
さすがにケチな親父も母の妹の手伝いを再開し姉はろくに働きもせず10年間親に年金を払ってもらっていました。😫💇🧓
その状態が10年以上も続いていました。😫😆💇☹️
もう40代も後半の時突然旅館をやると言い出しました。😲💇☹️
そこには島一番の大 ホテルの女将(姉の同級生で友達)のすすめがあったためと思われます。😆😆💁🙋
その友達は今の状況を見かねて良かれと思い進めてくれたと思います。😄💁💇
しかしその結果が母を苦しめることになります。😲😆🧓😵💫
そして銀行から融資を受けて家を建て替えました。😆😂😵💫
その時の保証人を母の弟の叔父さんに頼みました。😉😝🙇🤓
というのは叔父は漁業組合長をしており信用金庫の支店長とも懇意にしており母の話では酔った時家の方に一緒に来たこともあるようです。😵😣🤠🤓
最初は叔父は快く引き受けたようですがおばさん(叔父の奥さん)の反対にあい断ってきました。😖🙅🤓
それを叔父の家に乗り込んで無理やり頼み込んだみたいです。😡🙏🤓
自分はその当時東京にいたので母の話によります。😳🧓🥺
今となってはこれが分岐点だったと思います。😌🥹🙂↕️
叔父が保証人にならなければ 銀行の融資は通らなかったと思います。😔🤓
母の話によれば銀行の方から保証人はおじさんですねと言われたみたいです。😞🧓🤓
親父は「あんな 寝てばかりいるものができるわけがない」と反対していましたが2番目の姉と一緒にやるから心配ないと言って母が説得しました。😞🧓👱
その姉も家の方に来て2人で色々と相談していたみたいですが結局札幌の家の方に帰って行きました。😆🛳️🚊👱
多分私の想像ですが2番目の姉には子供はなく自営業なので夏の間はできると思ったのでしょう。😌😉👱
しかし2人の性格からしてあうはずがないと私は思います。😆💇👱
その理由は母も東京にいた自分も当然分かりません。😣🧓🤷
親父がもう少ししっかりしていれば体も弱り多少ボケ気味のため親父の性格からして絶対にやらされなかったと思います。😵🙅🥸
そういう状況になるのを待っていたのかもしれません。😝👌⁉️
こうして銀行から約1億(利息を含む)の借金をして旅館を始めることになりました。😣🫣😟
なぜこの時50歳近く結婚もせず 跡継ぎもいないのに1億 近くの借金をして家を建て直して旅館をする意味がよく分かりません。😰💇🥴⁉️
思うに姉の性格(外面がよく肉親に対して冷たい)見栄と外への対面で始めたとしか思えません。😆👱👎‼️
そのことが母を苦しめることになります。😝🧓🙅🥵
その翌年に父はなくなりました。😆🙏😇
2.に続く😞😖😣💇😀😮
