礼文島旅館かもめ荘の真実4
息子の母への思い
4.部屋はゴミ屋敷ならずゴミ部屋です。😝👱👅🫣
東京から帰ってきてから部屋にこもり猫と一緒にいてろくに手伝いもせず部屋の状況も分からない状態でその当時東京にいた私がたまに帰った時母があまりに汚いので姉が部屋にいない時掃除をしたら怒られたと言っていました。🧓👱💥😺
新しく建て直した旅館の姉の部屋は台所の横にありゴミ袋の山とペットボトル、容器プラスチック等があたり一面に捨ててあり万年床の敷き場もなくどこで寝るのかと不思議なぐらいです。😝👱😛
常にその部屋には鍵がかけられているのですが鍵をかけ忘れた時あまりにもひどいので母が片付けた時予約を書いた紙がなくなったと激怒していました。💢👱🧓🧾💥
最初の頃は個人客が少ないために電話予約のみでしたがツアー客がなくなり[じゃらん][ホームページ][メール]等の予約を始めました。😄👱💻⌨️
そのため本人も全て把握できなくなり部屋数も少なく(8部屋)そのため予約客がバッティングした時そのお客を他のホテル等に頼みその料金を全てうちで持ち反対に来るはずの予定客がこず料理が無駄になりまた少ない 部屋数も埋まらず繁盛期には痛い痛手です。😝👱🙍🥺
年に6から8回ほどで数十万の金額になると思います。😔👱😂‼️
部屋がそういう状態なので当然の結果だと思います。😂👱🙅🤬
そのことがあってから母は掃除するのをやめました。😆🧓👱🙅
しかし他の人に見られたら恥ずかしいと言っていました。😝🧓😮💨
というのはその部屋には照明盤と火災報知器盤があるためです。😏💡🚨🛑
姉がガスの火をつけっぱなしにして鍋の水が空っぽになり煙がたち込めて火災報知器が作動した時初めてその部屋に入った時びっくりしたものです。😱🥵🤯
その当時の姉はタバコを吸っており(人前ではすいません)多量のタバコの吸殻を無造作にゴミ袋に捨てあり足の踏み場もない状態で当然予約の間違いもありえると思ったものです。😌😝🤨😮💨
母は朝から晩まで働かせられながら「役に立っていると思っているかもしれないが何も役に立っていない」とか「自分の面倒をどうして私が見なければならないのか」等激しく罵倒されていました。😠😡💥👱🧓
先に書いたような「もうこの仕事は嫌だ」と言って卵を投げ捨てたリ刃物を突きつけられたりそれはひどい仕打ちを受けていました。😓😰🔪👱🧓
刃物を突きつけられたのは3から4度あったと母は言っていました。🔪👱🧓
姉は二重人格的なところがあり外面はすごくよく家族には冷たいと言うか人の悪口及び兄弟の悪口等を母に話していました。😡👱🧓🥵
母はその度に人の悪口に対しては「そうだね」と相槌をうち兄弟の悪口に対しては「すまないね」と言って謝っていました。🙇👱🧓🥲
親父も外面はよく悪口というより愚痴をこぼしていましたが親父以上に外と家の対応が違い感心するぐらいです。😔👱😛
ある人の悪口をある人に言いそして言っていた人の悪口を逆にその人に言うというとても考えられないことをしていました。😰👱😛
母は骨粗鬆症でそのために腰の辺りを圧迫骨折をし病院の先生に入院を勧められましたが私の顔を見て戸惑っていましたが先生が無理に進めなかったため入院しませんでした。😆🧓🏥🙅
それは姉が家のことを何もしないので家のことを心配してとのことだったと思います。😆👱🧓😮💨
母は冬の間のお客が1人とかの時「今日はお客が一人なので私がやっておくのでお母さんはいいよ」とただの一度もないと嘆いていました。😔🧓😮💨🥲
私はそのたびに「旅館をやらせたのが間違いだったのだ」と言いました。😆🙅👱
ただこねる子供に高い金額のおもちゃを与えたのだと思います。😆🧸🪆👱
月に一度注射をして骨を固めるということです。💉🧓🆗
その間も母は痛い腰をかばいながら一人で働いて料理を作っていました。😰🧓
本人も億劫がって2から3ヶ月に1回注射する程度でしたが1年間ほどで多少良くなりました。😃🧓💉🙂
その間も姉のパチンコ 狂いは変わらず冬の間は自分が雪投げをしていると素知らぬふりで朝からせっせと パチンコ に通っていました。😆👱🤯
母はよく 2つの話しを言っていました。😔😁🧓😶
1つは「自分が死んだら姉は旅館を続けていけない」もう一つは「智江(姉)とはお前は暮らしていけない。お前どうする」それは私も覚悟していたところです。😆🙅🤷
5.に続く😰😝🧓😶🤔
